京三号ヒストリー

京三号の誕生

昭和6年、水冷式単気筒500cc1/2トン積小型トラックとして当社が試作に成功、その試作車は「京三号」と名付けられました。

同年、京三自動車協会を発足し京三号の販売が開始され、翌7年には新たにV型2気筒750cc3/4トン積の改良型を完成、本格的にこの車種を軌道に乗せ量産することになったのです。ちなみに、昭和10年に乗用車を日産が実用化し、トヨタが試作車を完成させています。

量産開始~成長期

京三号は一時期月産150台を記録し、当時としては既に企業的に自立しうる状況にありました。昭和12年3月には、自動車メーカー数社が参加し、富士登攀(6合目まで)のテスト走行を実施したところ、「京三号」をベースに改良を加えた四輪駆動車だけが6合目まで到達し、その優れた性能を証明するかたちとなりました。

昭和9年、当時の株式会社豊田自動織機製作所(後のトヨタ自工)研究時代の発足から協力し、昭和12年に京三自動車商会、トヨタ自動車工業株式会社、大洋商会との3社共同出資によって、京三自動車商会を京豊自動車工業株式会社と改称しました。

戦時体制下での製造中止

しかし、そのような拡充対策が取られたものの、戦時体制が進むにつれ資材枯渇の影響を受け、生産は次第に不如意の状態となり、昭和13年8月製造中止となりました。昭和6年から昭和13年に製造が中止されるまでの約7年間で、合計2,050台を生産しました。

京三製作所と京三号

当社は、大正6年に東京電機工業株式会社の社名で電気医療機器類の生産を目的に事業を開始し、次いで鉄道電気信号、連動装置をはじめとする信号機器の製造を行っていましたが、大正14年横浜に日本フォード自動車株式会社が設立され、自動車の組み立てが開始されると、その翼下に昭和3年頃からテールランプ、マフラー、電気ホーン、燃料計、燃料ポンプ、配電器などの部品、付贓品を製造納入していました。
これが、京三号製造の基盤にもなったのです。

京三号はやわかり

「京三号はやわかり」に記載の京三号の仕様・特長は、36年式京三号の当時のカタログにもとづいています。

現代に甦る京三号

京三号レストア記

1

すばらしい自動車でも、長い年月にはかないません。この時が来るのを、ずっとこの地で待ちわびていた様に感じます。
フォークリフトにてセフティローダーに搭載し工場へ運んでいきます。

※文・写真提供 有限会社永遠ボディ様

京三号レストア記

2

フロントフェンダーを修復します。
腐食が激しいため新たに作ることにしました。何度も成型確認作業を行い、新・フロントフェンダーが完成です!

※文・写真提供 有限会社永遠ボディ様

京三号レストア記

3

キャブの修復に取りかかります。
キャブのループ部分及びフロント燃料タンク収納部分以外は土に戻る寸前でしたが、腐っている部分は新規に作り直しました。

※文・写真提供 有限会社永遠ボディ様

京三号レストア記

4

架台を修復し、リアフェンダーを新たに作ります。出来上がったフェンダーと架台を取り付けて完成です。

※文・写真提供 有限会社永遠ボディ様

京三号レストア記

5

各部品を組み立てていきます。
エンジン及び操舵系を装着したあと、キャブを載せます。軽いので人の力で十分です。

※文・写真提供 有限会社永遠ボディ様

京三号レストア記

6

電装系を取り付けます。
現代のエンジンに取り付けるのとは違い非常にシンプルです。

※文・写真提供 有限会社永遠ボディ様

京三号レストア記

7

一通り組みあがりました。
色々なところをビニールで保護しているので、まるで新車のようです。

※文・写真提供 有限会社永遠ボディ様

京三号レストア記

8

捕器類や灯火類を取り付け、
50年ぶりの給油をし、ついに京三号が現代に蘇りました!

※文・写真提供 有限会社永遠ボディ様

京三号ギャラリー

レストア完成写真集

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